Kleine Blätter

Blätterはドイツ語で、Blatt(英語でleaf、つまり葉っぱ) の複数形ですが、言葉や、言葉を集めたものという意味にも使われます。

演奏会に関することや、作品についてなど、他愛もないことを折に触れて綴っています。

 

《リサイタルDer Weg...道vol.3 》15.Oktober,2021

秋深まりゆく今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年は金木犀の香りに2度包まれるという思いがけない秋の贈り物がありました。自然界から思いも寄らない「生きる厳しさ」を突きつけられたパンデミック、現代に生活する人間の力にも限りがあることを思い知らされる日々ですが、その自然界から私たちは、生きるための計り知れないほど多くの恵みもいただいていることを思い起こすとき、改めて作曲家の遺した作品の根底に脈打つ「尊い生命への畏敬」に気づかされます。

 

昨年秋より日延べしていましたリサイタル Der Weg...道 vol.3を11月に浜松と東京で行います。大切な人への深い思慕・・私が最も心を注いでいるドイツ作品の中からベートーヴェンとシューマンのソナタを演奏いたします。

ご来場いただけましたら嬉しく思います。詳細はConcert Informationをご覧ください。 

《レクチャーコンサートのご案内》           04,November,2019

リヒテルやミケランジェリら往年のピアニストの信頼を得て、調律に人生を捧げてこられた村上輝久さんと、来たる12月12日静岡文化芸術大学でのレクチャーコンサートをご一緒させていただきます。
村上さんとは、私が帰国して間もない30代初めの頃に、東北地方を初め日本各地をご一緒させて頂き、コンサートの中での雰囲気作りや、プログラムの組み方、いらして下さるお客様との応対など、たくさんのことを学ぶ機会を頂きました。コンサート後は、その土地土地の美味しいお食事やお酒をご一緒に頂いたことも懐かしい思い出です。
卒寿を迎えられた今も、変わらずポジティブなご姿勢とチャーミングなお人柄の村上さんのお話を前半に、そして後半のコンサートでは2020年のBeethoven Year に先駆けて《テンペスト》とショパンの幻想曲をお届け致します。
師走の忙しない季節ですが、是非、お越しいただけましたら嬉しく思います。
お申込み、お問い合わせは、下記よりご覧ください。 https://www.suac.ac.jp/news/event/2019/01991/

《ショパン11月号でご紹介頂きました》 30,Oktober,2019

ショパン11月号で、私のニューアルバムをご紹介いただきました。

今月ピックアップされた4枚の新譜のうち一枚目は、恩師である田中希代子先生のCDでした。なんだか希代子先生にレッスンされているような気持ちになり、背中がピンと伸びる思いがしています。
希代子先生のお宅にレッスンに伺った時のことを思い出しています。
お香のような香りが立ち込めたレッスン室のすぐ右手の壁に、今は上皇后となられた美智子さまとお話を交わされる希代子先生のお写真があり、俗世とかけ離れた神聖な空間に入ったような感覚がありました。二台のピアノの蓋はいつも閉められていて、空間に解き放たれる前の「音の本質」を聴き取ることを大切にされていました。
希代子先生のご葬儀の準備に青山斎場に弟子達で伺ったのはもう23年も前の冬のことでしたが、真っ白な百合の大きな大きな祭壇の中で、美智子、と書かれた名札がひときわ白く、哀しみを湛えたように見えたことを昨日のことのように思い出しています。
頑張らねば!

 

《新譜リリースのお知らせ》       02,August,2019


Mozart, Brahms, Chopin, の三人の作曲家を繋ぐ思いを、一音一音に込めました。
一曲一曲弾き進める毎に、YAMAHA CFX から紡ぎ出される音に新たな創造を得ました。あたたかく伸びやかな音の世界に、楽譜から飛び出してゆきたい!という気持ちの衝動に駆られたことを、昨日のことのように思い出しています。
是非お手に取っていただき、私の世界を皆さまそれぞれに味わって頂けましたら、とても嬉しく思います。

今回も、たくさんの方々にお力添え頂きました。其々の方々とのセッションは、時にシビアで壁も立ちはだかりましたが、そこには常に大きな情熱があり、その都度新たな道が開かれました。一つ一つのシーンが、鮮やかに私の脳裏に刻まれています。
この場をお借りして、深い感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
全国のタワーレコード、山野楽器、HMV、JEUGIAなど有名CDショップでお求め頂けます。どうぞ宜しくお願い致します。   

《初夏のトリオ・コンサート》

浜松市で来たる6月24日(日)ヴァイオリンの森下幸路さん、チェロの横坂源さんと

トリオ・リサイタルをご一緒させて頂きます。

A公演では、愛の挨拶、ロンドンデリーなどの親しみやすい曲をトリオで、そしてB公演は、ベートーヴェン:カカドゥ変奏曲、メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番を
メインにしたトリオ、そしてシューマン:幻想小曲集を、ピアノとチェロのデュオで
お届けします。
お陰さまで、A券とAB通し券は完売、B券があと10席程、だそうです。
ご予定くださっている方は、主催の夢・汎ホール、又はMUSICACLARA 宛、どうぞお早目にお問合せください。( 夢・汎ホール 053-458-0016 )  

 

《春のコンサートのお知らせ》       01,Maerz,2018

昨夜の嵐とともに、浜松ではまた一歩、春が近寄ってきたようです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
春のコンサートのお知らせです。
出会いと別れ、再会、光、大気、芽吹き。柔らかな風、生き生きと活気に満ちていく春、これから始まる新しい季節へのほんの少しの不安。
いろんな思いを込めて、プログラムを組みました。40分のコンサートです。週末のひと時、どうぞお立ち寄りください。
今日、お誕生日を迎えたショパンの作品も演奏致します。ショパンは魚座だったんですね・・。
【田村明子グランドピアノコンサート】
3月17日(土)14時開演 (13時30分開場)
 ヤマハミュージックリテイリング浜松 8F かじまちホール
Programm:
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番 作品81a 「告別」
リスト:巡礼の年 第2年 「イタリア」よりペトラルカのソネット第104番
グリーグ:抒情小曲集 第3集 作品43   6. 春に寄す
ショパン:バラード第3番 作品47                  
                      

《田中希代子先生を偲んで・・》                 06,Feb.2018

2月5日は桐朋学園大学の恩師、亡き田中希代子先生の86回目のお誕生日でした。
希代子先生は、ちょうど私の生まれた年、36歳の時に膠原病の中でも重症だとされるエリテマトーデスに発症され、ピアニストとして絶頂期の中、その天命を果たされることを断念され、国立音大や私の母校である桐朋学園大学での指導に、後半の人生を捧げられました。
ショパン国際ピアノコンクールに日本人として初めて入賞され、パリを始めとして欧州各地で活躍されたその演奏は、当時の録音テープを基に復刻されたCDからも窺えるように、幽玄という言葉が最もしっくりくるスケールの大きな神秘的な世界で、今でも知る人ぞ知る、60年経った今も人々の記憶に残る音楽なのだと、私のドイツ留学中にも耳にしました。

そんな希代子先生でしたが、レッスンに伺うと、階段から敷かれたレールを伝って車椅子に乗り換えられるなり、今ね、紳助を見ていたの、私大好き!と仰ったり、お元気な頃にスキーがお得意でアルプス山脈に行かれた思い出を話されながら、でもあんまり高くて怖くてオモラシしちゃうかと思ったわ、などと話されるお顔は、まるで童女のようにチャーミングで、こんな田中希代子は私達門下生しか知らないに違いない、と20歳の女の子には急に距離の縮まった嬉しさで、ウキウキしてその日のレッスンを終えたことを、昨日のことのように思い出しています。
私がこれまでに教えを受けた恩師には、教える立場となった私が今になって、そのお一人お一人の、人としての大きさを実感するのですが、中でも希代子先生のアドバイスは見通しが大変永く、後々私が演奏していく中で、ああ、先生はこのことを仰っていたのだ、と初めてその意味を理解することの多かった方でした。

今は、How to ものばかり売れる、と嘆いておられた書籍会社社長の言葉がとても印象的な現代ですが、かつて私が教えを請うた恩師の、すぐには理解できなくても胸の奥底にズシーンといつまでも残るような、あたたかくてスケールの大きなメッセージを、若い方達に私も少しでも伝えていけたら、、、と思います。

 

《Brahms: 8 Klavierstücke  Op.76》                            30.Okt,2017

モーツァルトのピアノ・ソナタKV570が完成したのが、フランス革命でバスティーユが襲撃された1789年。その2年後に、ルイ16世一家がマリー・アントワネットの故郷オーストリアへの逃亡中、国境手前のヴァレンヌという街で見つかってパリに連れ戻される、という悲劇がありましたが、ブラームスの生まれた頃なら鉄道網で逃げ果せたかもしれないと考えると、ヨーロッパが僅か40年の間に大きく様変わりしていたことに驚きます。ブラームスも実はとても旅の多かった人で、ウィーンに移り住んでからも、夏の保養地としてオーストリア内のミュルツツーシュラーク、バート・イシュルなどを経て、鉄道の発達によりスイス・トゥーン湖のほとりにまで足を伸ばすようになります。この作品76が書かれた1878年には、イタリア旅行の後、南オーストリアのヴェルター湖畔の美しい街ペルチャッハ(今のスロヴェニア国境近く)に滞在、その風光明媚な土地柄はブラームスの田園交響曲とも言われる交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲など素晴らしい作品にも表れています。

8つのピアノ小品 Op.76は、第1曲のみ1871年のクララ・シューマンの誕生日プレゼントとして贈られ、その他の7曲を1878年にペルチャッハで完成、2年後にはベルリンやウィーンの楽友協会等でハンス・フォン・ビューローによって頻繁に演奏されたようです。(門馬直美著:ブラームスより)
  私自身がこの作品に初めて出会ったのはドイツ留学中。イーヴォ・ポゴレリチによるブラームス作品のCDで、第一曲のみ収録されていたのが作品76でした。彼の持ち味の遅いテンポでの何ともドラマティックで幽玄な世界にハマって譜読みを始めたものの、インテルメッツォの捉え方に行き詰まり敢え無くギブアップ。20代にはまだまだ理解の難しい作品でした。4曲ずつ編まれたカプリッチオとインテルメッツォの組み合わせには、シューマンの作品に見られるフロレスタンとオイゼビウスの性格的小品を想わせもしますが、ブラームス自身が「作品の演奏はその作品のために元来書かれている楽譜の上だけで想像されるべきである」と述べているように、その折々に感じたものをそのまま表す、という正に、言うは易し行うは難しの世界です。そのままというのは本当にそのまま、なのであって、ブラームスの思い、楽譜の意図にそのまま寄り添うためには、演奏者自身が心身ともに解き放たれて生まれる響きの渦に、そのまま身を委ねるしかありません。浜松と東京で、さてどのように自由になれるでしょうか。ソナタや変奏曲を経て、音をより内面的に丁寧に紡ぐようになったブラームスの後を追って、私なりに旅をしてみたいと思っています。

《Mozart: Piano Sonate KV570》                                  21.Okt,2017

Der Weg…道 Vol.2 浜松公演まであと2週間となりました。前回同様、演奏曲目について、つらつらつら、、と。

Piano Sonate KV570が書かれた頃のモーツァルトは、財政的に極めて逼迫した状況でした。さらに妻コンスタンツェの湯治場での足の治療費も嵩み、モーツァルトはウィーンの商人ミヒャエル・プフベルグに借金を請うのですが、その手紙はモーツァルトの威信が崩れるようで、読んでいて苦しくなるほどです。
これに先立ち、プラハでフィガロの結婚やドン・ジョバンニが大当たりだったにも関わらず、ウィーンでは今ひとつで、演奏会や作曲の依頼も激減していたという事実は、飽きっぽいウィーンの街に生きる音楽家ならではの厳しい現実を示しています。それでもコンスタンツェには生活の苦労を知らせないようにしていたというところに、モーツァルトのダンディズムも感じられます。そしてこの頃立て続けに書かれたのが、最後の3つの交響曲。
そんな状況で書かれたこのピアノ・ソナタには、しかし一抹の寂しさを感じるのです。第一楽章でも第二楽章でも、小さな幸せを一つ一つ大切にするようなモティーフは、あまり大きな結末を迎えません。そして行進曲風の第三楽章に、あの巨大なオスマン・トルコの襲撃を二度までも乗り切ったウィーンの街に対するモーツァルトの執着と憧憬が隠されているように思えるのは、私の考え過ぎでしょうか。

《Der Weg...道 Vol.2》                                                30.Sep.2017

昨年より始まった自主リサイタルシリーズDer Weg...道は、そもそも2014年秋のドイツの旅から着想したものですが、Vol.2として浜松で11月5日、東京で12月9日に開催します。

 

    おお、どうか帰り道を教えておくれ、子供の国に帰る懐かしい道を

  幸福を求めたとて虚しい、周りはすべて荒れ果てた砂浜なのだから

             クラウス・グロート(1829-1899)

 

ブラームスはドイツの詩人クラウス・グロートによる詩Heimweh (郷愁)に、歌曲Op.63-8を書いています。故郷とは、思えば祖国そのものであり、父母でもあり、想い続けた女性でもあり・・ショパンもモーツァルトもブラームスも、故郷への強い執着と思慕を持ち続けながら叶わず、その心の葛藤が彼らを新天地への道へ駆り立てたとも言えますが、だからこそ形成された人間像と、名声の裏に隠されたその複雑な心情は、特に後期の作品の中に吐露されているような気がします。深まりゆく秋の気配を感じながら、静かに、一音一音に込められた真意を探ってみたいと思います。

 

Der Weg...道 の由来は、昨年のリサイタル Der Weg...道 のクラシックインタビューで、語っています。ご覧下さい。  

https://www.youtube.com/watch?v=sOH8sacbFds

 

 

《5月27日 リサイタル in 千葉・勝田台》   April.03,2017

この春、久しぶりに千葉で演奏の機会を頂きました。
桐朋学園大学で長い間教えてこられた中野洋子先生が、ご自身のドイツ留学の頃のHauskonzertの思い出をもとに10年以上かけて育んでこられたシリーズです。これまで何度かお声をかけて頂き、今回140回目のコンサートとして、リサイタルをさせて頂きます。
演奏者の息遣いが直接感じられるサロンでのコンサートで、身近にクラシック、というタイトルのもと、毎回演奏者がその時に一番気持ちを込めたい選曲で編まれていて、ロシアものだったり、フランスものだったり・・私は昨年のDer Weg の延長で、ブラームスを間にはさみ、リサイタルとしては久しぶりのモーツァルトとショパンの作品を演奏致します。なお、このシリーズはチケットはなく、当日直接お越し頂き、お気に召しましたらカンパを、という形態です。(教会が多いからか欧米では比較的珍しくない形です。)
Der Weg 第2弾は、今年の秋、浜松では11月5日(日)福祉交流センター、東京で12月9日(土)ヤマハホールで、開催予定です。どうぞご期待ください!

《円山応挙 at 根津美術館》              23.Dez,2016

今年の演奏の仕事を幸せな気持ちで締めくくって、豊川市桜ヶ丘ミュージアムで開催中の《冬の情景展》を鑑賞してきました。
豊川ゆかりの日本画家の作品を《冬の景色》をテーマに集めた展覧会、平川敏夫や大森運夫ら、この地域を代表する画家の作品に初めて出会いました。とても骨太な印象ながら、冬山の木々の一本一本の枝先に、画家の研ぎ澄まされた感性と強い思い入れを感じて、ぞくぞくするような緊張感と寒気すら感じました。
同じ冬の景色でも、先日青山の根津美術館で鑑賞した円山応挙の画風とは全く異なります。
応挙の《雪中水禽図》に見る雪の絵は、次の瞬間松の枝から雪のかたまりが重みでドサッと落ちる音や、寒そうに凍える雌を温めるように寄り添う雄の雁のサクサク雪を踏みしめる音が、聞こえたり見えたり。《雪中残柿猿図》では、二匹でじゃれあう猿が枝から枝へ飛び移る瞬間にたわむ枝から粉雪が舞う様が見えるようでした。極めて忠実に写生しながら、その緻密さは写生の瞬間に留まらず、考え抜かれた構成のもと、むしろ絵から被写体が今にも飛び出してきそうな生き生きした動きを伴っていました。あくまでも生命へのしなやかで大らかな応挙の観察眼に圧倒されました。
モーツァルトやベートーヴェンが生きていた時代に、日本でこのような自由闊達な絵が描かれていたことと、それを見事に収蔵する根津美術館とに、驚きと感動の連続でした。
この一年、コンサートにいらして下さった方々、ウェブサイトをご覧下さった方々、本当に有難うございました。お世話になりました方々にもこの場を借りて御礼申し上げます。
来年も音楽に没頭していきます。引き続き皆さまとのご縁が繋がっていきますように・・!
どうぞお元気で、よいお年をお迎えください。
 Frohe Weihnachten und ein schönes neues Jahr !! Merry Christmas and a happy new year!!

 

《愛知県立芸大創立50周年記念コンサート》    25,Nov.2016

昨年から非常勤講師を務めさせて頂いている愛知県立芸術大学は今年創立50周年。音楽学部、美術学部其々の関連イベントで、目下キャンパスが活気付いています。
11月28日(月)は、10月に引き続いて、ピアノ科の教員による記念コンサート第2弾、私はショパンの幻想ポロネーズを演奏させて頂くことになりました。
ショパン最後の大曲、作品61。この後、2つのノクターン作品62、マズルカ作品63、3つのワルツ作品64 (1曲めは仔犬のワルツ)・・・そして4つのマズルカ作品67、最後に4つのマズルカ作品68。
残された命が短いことを知った作曲家は、音楽にまだ何を求めるのでしょうか・・どんどん内省的に、深い心情を吐露するような作品を短期間で次々に書き上げます。シューベルトもまた然り。二年前にレコーディングで取り組んだ《楽興の時》でも、心の奥底にあるもの、闇の奥に見える一筋の光のような世界が拡がっているように思え、随分悩んだことを思い出します。
   
いきなりフォルテで始まる意志の強い冒頭と、続く幻想的なアルペッジオ。転調に次ぐ転調で、22小節めになって初めて、この作品の本来の調性である変イ長調でポロネーズが登場します。それでも、これまでのポロネーズのような非常に骨格の太い印象はなく、繊細な心情や時を緻密に織り上げていくかのよう。ハーモニーの拡がり方や、響きの核にも翳りが感じられるものの、ショパンは他のポロネーズと同様に、Allegro maestoso と記していて、これをどのように捉えるべきか・・20歳でワルシャワを出てから一度も祖国に戻らなかったショパンの言動には謎が多く、その人となりを探ることはとても難しいですが、「音によって思想を表現する芸術」〜《ショパンの音》佐藤允彦 新潮文庫:ショパン(遠山一行著)より〜 という、ショパンの残したこの言葉に込められた深い意味合いを少しでも掴めたら、と思います。 

《ニッポンの夏から、フランスへ・・》       24.Juli,2016

浜松の朝は目下、クマゼミの大合唱。今年は例年に比べてやけに多い気がします。それでもここ数日、子供の頃の7月を思い出す涼しさでした。

8月のコンサートのプログラム、私には珍しく、フランスものを入れてみました。

久しぶりに取り組んでみると、作品から想像される景色や作曲家の思いに、若い頃感じたことのなかったものが見えてくる気がしています。音楽は、やはり人生と切り離せないものなのだと実感しています。

 

颯爽と麦畑を駆け抜ける風、それぞれの思いを静かに受け止めるかのように大地に沈み込む夕陽、様々な矛盾を孕んだ不動の大気・・ミレーやゴッホ、マネらフランス絵画の世界を彷彿とさせる、多彩で繊細な世界です。ドイツ音楽が心情を深く追求するのに対して、フランス音楽は景色が想像しやすく、音楽の動きかたや止まり方にも風が感じられて、ドイツものとはまた違う躍動感があるように思います。フランスには住んだことはありませんが、なんとなく日本人には感覚的な共感を得やすいような気もします。疲れて汗ばんだ肌を風が優しく撫でた時、ふとフォーレの和声が聞こえてきました。蒸し暑いニッポンだからこそ、かの地への憧憬も強くなるのでしょうか。

《ピアノとの一期一会》              14.Juni,2016

掛川市でのQuartettoリベルタの皆さんとの室内楽コンサートが終了しました。

当日はいつものお客様のほかに、遠く埼玉県熊谷市からもいらして下さったと聞きました。
予定外のことで、Bösendorfer(ベーゼンドルファー)の2台のピアノを弾かせて頂くこととなりました 。モーツァルトのピアノ・トリオでは、Model 225のタイトで透明感のある音色を愉しみ、後半のシューマンをバックハウス版インペリアルで。 Bösendorfer社が、巨匠ヴィルヘルム・バックハウスの要望に応えて製作した、初めてのModel 280(インペリアル)だそうで、少し動かすとギシギシ・・とまるで関節がきしむような古いピアノでしたが、懐の深さと豊かさを感じました。歳月を経て渋さと静けさを湛えた響きが《こどもの情景》の世界にまた新たな色彩を与えてくれ、《ピアノ五重奏曲Op.44》では、力強い低音に支えられて温かみと輝きを放ち始めました。
ピアニストは、他の楽器奏者と違って自分の楽器で本番を迎えることが出来ない代わりに、人々の思いが深く込められた楽器との一期一会の出会いが楽しみでもあります。音作りに深く携わる、設計、製作、調律・・様々な人の手を経て、その日、本番を迎えるピアノから可能な限り美しく豊かな歌を引き出して会場のお客様にお届けする・・ピアニストの使命でもあり、他の楽器にない醍醐味でもあります。
 今週末は18日(土) 16時頃より、浜松でのゲスト演奏。ヴァイオリンの中村友希乃さん(東京芸大3年在学中、2016年よりヤマハ音楽支援奨学生)との50分間のデュオコンサートで、シューマン:こどもの情景、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番ほかを演奏します。これからの活躍が楽しみな友希乃さんの演奏、お近くの方にはぜひ聴いて頂きたいです。

《シューマン:こどもの情景 Op.15》                    05.Juni,2016

6月11日のかねもクラシックコンサート。後半はシューマンの作品を並べました。ピアノ五重奏曲 Op.44 の前に、私のソロで《こどもの情景》を挟みます。

音楽之友社から出ているウィーン原典版。ヨアヒム・ドラハイム氏の注釈のなかで、シューマンがこの作品に関してクララに宛てた手紙の一部が、藤本一子さんの翻訳によって紹介されています。  
〜1838年3月17日、シューマンはライプツィヒから許婚者クラーラ・ヴィークに手紙を書く。ちょうどかの女がピアノのヴィルトゥオーソとしてウィーンで圧倒的な成功を祝していたときだった。「それから忘れてはいけないことがあります。ぼくがいま作曲しているもののことです。ーーそれはいつかのきみの言葉の余韻のようなのです。きみはこう書いてきたね。『わたしはときどきまるで子供のようにみえるでしょうね。」ーーつまりこの言葉で、ぼくはちゃんと広袖の子供服を着ている気分になった。そこで30ほどの愛らしい小品を書き、そのうち12曲ほどを選んで《こどもの情景》と名付けました。ーーここには題がついていて《こわがらせ》ー《炉端で》ー《鬼ごっこ》ー《おねだり》ー《木馬の騎士》ー《見知らぬ国々》ー《珍しいお話》など、あとはわからない!つまり人はすべてを見るけれど、途端にはかなく泡となって消えるのです・・・〜
 
思えば幼い子供の頃・・・木の葉が風に舞うのも楽しくて追いかけたり、秘密の洞穴にドキドキしながら大事なものを隠したり、お昼寝から覚めてみたら辺りが暗くなっていて無性に寂しくなったり、母に怒られて泣きながらいつの間にか寝入っていたり・・・
生活の中の小さな出来事に一喜一憂する子供の心情の奥底には、無邪気さと背中合わせに、未知の世界への不安や、大切なものが次の瞬間には消えてしまうんじゃないかという恐れのようなものがあったように思います。大人になって様々な経験を経ていつの間にか鈍くなっている《恐れ》・・人生の矛盾も知ってしまった大人には最早見えないものが子供には見え、聞こえない音が聞こえるのです。この曲には、大人から見た懐かしいセピア色の思い出ではなく、シューマンの純粋な目線から今まさに見える、色とりどりの《こどもの心情の世界》が描かれているように思えます。
 こんな作品を捧げられては、母性本能をくすぐられたクララがロベルトを思う愛おしさも一層深まったに違いありません。

 

《かねもクラシックコンサートwith Bösendorfer 》04.June,16

6月11日(土)の掛川市の老舗茶店かねもでのクラシックコンサートもいよいよ来週末となりました。これまで何度かソロでの出演の機会をいただいていますが、今回はカルテットリベルタとの初共演で、モーツァルト:ピアノ・トリオとシューマン:ピアノ五重奏曲を演奏致します。
ヨーロッパのサロンのような優雅な雰囲気の空間に置かれた、バックハウスの使用したというベーゼンドルファーのピアノ。ベーゼンドルファー・ジャパンのウェブサイトでもトピックスとしてご紹介頂いています。
前日のリハーサルを楽しみにしつつ、準備を進めています。

《Der Weg...道》東京公演                25.April,2016

 一昨日、銀座・YAMAHAホールでの東京公演を終えました。

私が今回のリサイタルに込めた《作曲家が繋いできた音楽への熱い思い》を伝えるDer Weg…道が、いつしか、当日までに様々な形で関わってくださった方々、会場に居合わせてくださった皆さまのいろいろな思い入れを伝えてくれる道ともなったように思え、大変思い出に残る演奏会となりました。

神秘性、幻想性、深くて、あたたかくて、懐が大きくて・・・ピアノをやっていて良かったとこんなに深く思えるのは、私にとっては、やはりドイツ音楽です。

ベートーヴェン、シューマン、ブラームス・・・見えたかと思えば躓き、聴こえたかと思えばまた消え失せ・・その道のりは決して優しくはありませんが、まだしばらくは本道をここに置き、次の演奏会に向けてまた一歩一歩、歩いてみようと思います。

関係者の皆さま、ご来聴頂きました全ての皆さまに、深い感謝の気持ちでいっぱいです。

有難うございました。

《クラシックニュース》のインタビュー           12.April,2016

 

浜松でのリサイタルの翌日、《クラシックニュース》からのインタビューが、東京・上野でありました。

今回のリサイタルのタイトルが《Der Weg...道》になった経緯や、プログラミングの背景などお話ししました。

早速、You Tube にアップロードされましたので、是非ご覧ください。

 

浜松公演を終えて・・                          11.April,2016

 

昨日、浜松公演を終えました。

浜松在住10年を迎え、2009年から始まった浜松での自主リサイタルも今年で4回目。

回を追うごとに少しずつ少しずつ、新しいお客様にもお運び頂けるのが、とても嬉しいです。

舞台の上で新たに発想して試みたり、冷や汗かいたり・・・

全ては会場へお運び下さるお客様のお耳があってこその結果。

これまでの孤独な準備と探求で積み重ねたものに舞台上でまた新たな生命が宿って、音楽というものは熟成されていくのだなあ、と改めてお客様の存在の大切さ、有難さを身にしみて感じています。

23日の東京公演まで、また新たな気持ちで楽譜を見直してみようと思います。

《ブラームス:4つのピアノ小品 Op.119 》          03.April, 2016

ハンブルグ生まれのヨハネス・ブラームス(1833-1897)。

初期のピアノソナタに見られる華やかな技巧を駆使した力強く激情的な作品が、北ドイツ出身者特有のはにかみ屋でシャイな、この青年によって書かれたとは、シューマン夫妻も出会った当初は想像もしなかったのではないのでしょうか?ロベルト・シューマンは、ブラームスの中に、自分に似たものも感じつつ、秘められた意志の強さを愛したのでしょう。若きブラームスのこの横顔のスケッチをいつも懐に持ち歩いていたと言います。

しかしこのブラームスの極端に引っ込み思案で気難しい性格は、後々もブラームスの周りの友人たちを戸惑わすことがあったようで、なかなか真には打ち解けようとしない彼に対して、あのクララ・シューマンでさえも「これほど長く親しい間柄なのに・・」と悲しませることがあったようです。
作品116から119までの晩年のピアノ小品集は、親しい友人を次々に亡くし年齢的な衰えも感じ始めた(といってもまだ50代後半ですが)ブラームスが、「霊感も尽き果てた今は一音たりとも書くべきではない」と言って遺書(もどき)まで書いたところで、ミュールフェルトという素晴らしいクラリネット奏者との出会いがあり、彼のために曲を書くことで創作意欲が再び沸き、生まれた、ピアノのための最後の作品群です。
そしてまたしてもこの頃、持ち前の性格にさらに加齢とともに頑固さも加わったのか、クララとの意思疎通を十分に計れないままシューマンの作品を出版したことで、彼女との信頼関係が大きく揺らいでいました。その後ブラームスがこの美しい作品119をクララに贈り、クララもとても気に入ったことで、再び二人の心が通じるようになったといいます。(以上、三宅幸夫著《ブラームス》、《ブラームス回想録集》音楽之友社、Brahms Museum in Hamburg より)
ファ♯レシソミ、ラソミド♯ラファ♯レ、と柔らかな下降線を辿ってはまた漸く這い上がるような第1曲のインテルメッツォの冒頭・・ブラームスの孤独な心情やクララに対する深い思いやりを表すようで、頑なだったクララの心が解けたのが頷けます。続く第2と第3のインテルメッツォも静かに昔日を思い出すかのよう。4曲目だけ作曲年代が違うものの、決然としたドイツ魂と非常に内省的で孤独感も混在する作風で、ブラームスがこの曲をピアノ作品の最後として締めくくった心の内を見ることができるようです。

《ベルク:ピアノ・ソナタOp.1》                             24.März,2016

アルバン・ベルク(1885-1935)は、ウィーン市内の宗教関連の仕事を営む家に生まれました。祖先には男爵の称号を与えられた者もあるほど裕福な上流家庭で、膨大な蔵書に囲まれて相当な量の読書を積み、ウィーン市内の美術館にも足繁く通ったベルクは、幼少の頃から芸術領域に関して、はっきりした好みを持っていたそうです。独学でたくさん作曲した歌曲の一部を、兄がシェーンベルクに送り、その才能を見込んでシェーンベルクはベルクを無償で生徒に取ることを決めました。(1904〜1910)

作品1となるピアノソナタは1907年〜1908年に作曲、当初単一楽章に書くつもりはなかったのに、どうしてもその後が思い浮かばないというベルクに対して、シェーンベルクが「それならもう、一楽章で全て言うべき事を言い尽くしたのでしょう」と言ったことで、1910年に出版されることになったというものです。シェーンベルクは決して自分の作風を生徒に押し付けるようなことはせず、極めて伝統的な授業で基本的な理論(和声と対位法)と作曲法(フーガ形式とソナタ形式)を教え、バッハからブラームスまでの作品を一緒に分析してみるというもので、生徒の個性を見つけ出すことに力を尽くしたそうです。(以上、フォルカー・シェルリース著 《アルバン・ベルク》より)
 このソナタも厳格なソナタ形式で書かれていて、バッハを想わせる和声構造で成り立っていますが、歌曲を多く研究し作曲したベルクらしく、その形式からはみ出すかのように歌が溢れています。半音も多く使われてるので非常に神秘的で、和声の響きも、その時代に一世風靡したユーゲントシュティルの印象そのままの、退廃的だけど甘美なエレガンスがあります。ゴシック時代の教会に響くバッハのカンタータや、緻密な建造物を想わせるベートーヴェンが、いずれも一から積み上げていく音楽だとすると、ベルクの音楽は積み上げつつ崩し、また積み上げては崩し、というような印象を私は持っています。シューマンやブラームスらのロマン派を経て、さらに感情の起伏に応じるように、線で言うと湾曲を帯びて細かったり太かったりする(ベルクの眉も細いですが・・)妙に艶かしいものも感じます。
この楽譜の表紙はベルク自身によって、ユーゲントシュティル風に書かれました。

ぶらあぼ4月号に掲載されました               24.März.2016

 

 

 

ぶらあぼ4月号《4月の注目公演》に、リサイタルの記事が掲載されました。

副題をDer Weg....道、としたことについて、

「前略〜ベートーヴェンの7番とベルク、2つのソナタにブラームス作品119、シューマン交響的練習曲(遺作付き)というプロに、音楽史上の道程と彼女自身が歩んできた演奏家人生が交錯する。」

・・・確かにその思いもありますが、でも音楽家として以前に、人としての生き方がそのまま、音楽に反映される年齢になりつつあるのかなと思うこの頃です。

肩の力を抜いて、そのままそのまま、舞台に立てるよう、引き続き探求したいと思います。

コクのある音・・                       15.Maerz,2016

ここ数週間、よく新幹線に乗って移動しています。デジタルの時代に生きている私たち、いつでもどこへでもコンピューターで好きな時に旅の予約をし、車内では美味しいお弁当を食べ、好きな音楽を聴き・・
かの作曲たちもたくさんの旅をしました。しかし、飛行機も新幹線もない時代、ベートーヴェンは乗り合い馬車でガタゴトガタゴト・・ブラームスの頃には既に鉄道が敷かれていたとはいえ、各駅停車の汽車にガタンゴトン、と長時間揺られての移動。とても疲れたでしょうし、途中で乗り込んでくる人々との会話や思いやりがあったかもしれません。
そんなふうにゆっくり時間をかけた長旅の途上で生まれた音楽なのです。超特急やジェット機であっという間に移動し、車内ではスマホを持ちイヤホンを耳にしたが最後、外との交わりを断ち切って自分の世界に入り込む現代人には見えない景色、聞こえない音、感じられない気配や人々の思いがあった筈です。
例えばシューベルト。彼は個人レッスンの依頼を受けて通ったある貴族の館で、生徒となった令嬢にいつしか恋心を抱きます。身分違いの決して叶わない恋。その秘めた思いを打ち明ける代わりに連弾曲を作曲しました。二人並んでピアノに向かい、手が触れるか触れないかの至近距離、お互いの息遣いも聞こえてきそうな距離に近づけたことで、彼はもう胸がいっぱいになったと言います。なんという純な心でしょうか。そしてそこでなんと繊細で優しい時間が流れたのでしょうか。
それらを表現するためには、楽譜に書かれてある通りに弾くだけではダメで、音符が意志を持った音となって楽譜から飛び出していくまで、演奏家は何度も何度も弾き込まなくてはなりません。私が桐朋学園大学の1年から卒業までお教えを受けた故・田中希代子先生がよく口にされたのが「コクのある音」という言葉でした。コクが出てくるまでには、とてもとても長い時間がかかるのです。

《ベートーヴェン:ピアノソナタ第7番 Op.10-3》01.Maerz, 16

 

ベートーヴェンの32曲のソナタが生まれた背景には、当時の楽器(ピアノ)の開発との関連が切り離せません。ピアニストとしても大活躍だったベートーヴェンの元には様々なピアノの会社から楽器が貸与され、評価依頼が多く寄せられました。ピアノが音量や表現の幅を広げ楽器として進化していった過程で、ベートーヴェン自身も、様々な模索や試行錯誤を繰り返しながら全32曲のピアノソナタを完成させていきました。後期のソナタなどは、現代のピアノでもまだ表現しきれないものがあると思うほど、彼の世界観の大きさには神々しささえ感じます。
この第7番は、初期のソナタの特徴でもある、非常に繊細で鮮やかな色彩感と音楽の歓びに溢れた作品で、ベートーヴェンも溜息を吐くくらい有名になった《悲愴》ソナタの一つ前、全4楽章の大きなソナタです。ピアニスティックな華やかさが全面に溢れていて、私も若い頃はこの一面にまず惹かれてきましたが、そこをもう一歩踏み込んでいくと、その奥に、とても自由な発想の世界が、管弦楽のようなスケールの大きな構成に基づいて展開されていて、弾きこんでいくごとにどんどん魅力を感じています。速いテンポ感で、主題と動機を声部のあちこちで展開させながら、ぐいぐいと惹きつけていく第一楽章に続いて、第二楽章には冒頭にベートーヴェン自身の手によりLargo e mesto(ラルゴ、悲哀に満ちて)と記されています。演奏時間が9分近くもあり、初期のソナタの中では第3番と共に最も長い第二楽章ですが、ただただ哀しみにくれるばかりではなく、その合間には人間的な温かみや決意のようなものも盛り込まれていて、まるでその後のベートーヴェンの運命的な人生を予感させるようです。そして私の大好きな第三楽章。雨上がりの夜明け、静寂の霧の中に新しい生命が少しずつ宿るようなナイーブな音の世界で、否が応でも第4楽章への期待感が膨らみます。あのメドゥーサのような髪を振り乱した肖像画のせいで、ベートーヴェンというといかにも気難しくて哲学的で近づきにくい印象を持たれてしまいがちですが、実はとてもウィットに富んでいて冗談の好きなおじさんだったとか。この楽章にはそんなベートーヴェンの側面が現れているようで、本当に愉しい楽章です。
ベートーヴェンの考え抜かれた構成の中に、知性と精神と人間臭さが入り混じった素晴らしいソナタなのです。

《シューマン:交響的練習曲Op.13  その2》   20.Februar 2016

 

ジャン・パウルや E・T・A ホフマンに傾倒する文学青年でもあったシューマンは、自分の中に、フロレスタン(明るく朗らかで、ポジティブな面)とオイゼビウス(非常にナイーブで瞑想的な面)という二人の人格があるとして、作品の中に頻繁に偲びこませています。 もっともわかりやすい作品には、謝肉祭Op.9や幻想小曲集Op.12 などが挙げられるでしょうか。フロレスタン風に見えて実はオイゼビウスではないかと想わせる曲もあり、人間の心は常に表裏一体なのだと思わせられます。この天真爛漫なくらいの感情の吐露はシューマン特有のものですが、交響的練習曲では比較的抑えられていて、ここに敢えて《練習曲》としたシューマンの意図があるように思います。抑圧されたものが一気に噴き出るような凄まじいエネルギーが生まれていて、交響的という名前がぴったりな、ピアノという楽器の響きを超えるようなスケールの大きな作品に仕上がっています。そしてこの交響的練習曲に影響を受けて、1841年作曲のメンデルスゾーンの《厳格な変奏曲》が生まれたのではないかと、私は密かに思っています。
同じ年に書いたという《謝肉祭》が物語のように情景を映しているのと比べて、交響的練習曲は情景よりも心情を表していて、まるっきり違う世界。エルネスティーネとの恋の破局が、どんな心情の変化をもたらしたのだろうと、その時にワープしたい気持ちにさせられます。

リサイタル プログラム ”Der Weg…道”                    《シューマン:交響的練習曲Op.13  その1》   13.Februar 2016

クララとの熱愛の前、24歳頃のシューマンが婚約までしていた恋人エルネスティーネ。その父であるフォン・フリッケン大尉はアマチュアながら作曲もする音楽愛好家で、彼の書いたフルートの曲を主題としてシューマンがピアノ用に12の変奏曲を加えて仕立て直したのがこの作品。もしかすると、フリッケン大尉に二人の仲を認めて欲しいというシューマンの願望も当時は込められていたのかもしれませんが、その後、この婚約は解消されます。同じ頃、謝肉祭Op.9も書かれています。
私のこの曲との出会いは、ドイツ留学中の26歳の時。師であるグレムザー先生のリサイタルで拝聴してとても惹かれ、夢中になって譜読みし暗譜をして、6週間後の学内演奏会 PODIUM で演奏しました。
スタッカートでの連続アルペッジオや両手でオクターブの掴みにくい和音が続いたり、付点のリズムに乗って和音が左右交互に続いたりと、テクニック的にもとても難しいのですが、若気の至りであまり苦労しないまま弾けるようになり、そのすぐ後にケルン近郊で受けたマスタークラスでは、ピアニストで講師の オレグ・マイセンベルグ先生に「どうやったら、そんなに完璧に弾けるんだい?」と褒めて頂いて聴衆の拍手喝采を受けてちょっとイイ気になり、その後何度か演奏会で取り上げました。でも、まだまだ音楽的な深みや面白さを感じ切れなくて、あまり精神的な満足感を得られていなかったようで、これはやはり若いからこその浅さと愚かさゆえだったのだと思います。この曲は1837年に初版が出版された後も何度も手が加えられていて、1852年にシューマン自身の変更が加えられた第2版、そしてシューマンの死後、クララとブラームスによってさらに二回見直され、1861年に第3版、そして1873年の全集で、遺作と呼ばれる5曲の変奏曲が加えられました。
本編の複雑に絡んだ厚みのある響きに比べるとシンプルで非常にintimateな魅力があり、さながら心のオアシスのようです。これを含めて演奏し始めてから、私も少しずつ、この曲の多彩さ、豊かさに気づき始めたように思います。

俳句とクラシック音楽の共通項・・?          01.Februar 2016

 
昨日、俳句誌《木の中》創刊15周年記念大会で、ゲスト演奏を終えました。一体どのような方々が集まってこられるのだろうと、貧困な想像の末の選曲でしたが、木の中主宰の折井紀衣先生から、ピアノのことはよく知らないのに、心はわかるんですね、という涙交じりのお言葉をいただいて、ようやく肩の荷が下りました。
大阪から来賓として駆けつけてこられた俳人の川口真理先生ともテーブルをご一緒し、考え抜かれた言葉の奥に、鋭くも深くも感性を刺激される豊かな時間を共有させて頂きました。
たくさんの思いを五七五のたった17字で紡ぐ俳句も30分の長大なソナタも、些細なことを掬い上げて息吹を注ぐ、そして大きく躍動させる、ということにおいて、共通の静と動の世界を分かち合えた気がしました。

2016年の始まりに・・         23.Januar 2016

今年の初コンサートは、ある会でのゲスト演奏。会の趣旨に添えるよう詩や情景をイメージしやすい曲を組みました。

 

《プログラム》シューマン:《子供の情景》より 見知らぬ国々

              リスト:《巡礼の年〜イタリア》より ペトラルカのソネット第104

              ショパン:ノクターン 第5番

              ショパン:ポロネーズ 第6番 《英雄》

 

文学青年だったシューマンの描く《子供の情景》は、子供らしい心象風景や行動が織り込まれた13の小品から成り、その一つ一つを抱きしめたいくらいの美しい曲集です。

 ペトラルカは14世紀に生きたイタリアの詩人で、リストがインスピレーションを受けて作曲し、《巡礼の年〜イタリア》の中に含めました。ラファエロの名画《婚礼》に始まり《ダンテ》で終わるという、イタリアの絵画や文学作品から着想した全7曲の曲集です。ともすると生き方の華やかさばかりが目立つリストですが、その人生の晩年に描いた作品には、内省的で心の襞に沁み入るような作品が多く、とても惹かれます。と同時に、男性的な渋みや深さは、どうやっても享受出来るものでもなく、女性に生まれたことが悔やまれる瞬間でもあります。

 文学との関わりを大っぴらにしたシューマンやリストに対して、ショパンはやや冷ややかな見方でした。故郷ポーランドの詩人アダム・ミッキエヴィッチの詩を基にしたと言われる4曲のバラードでさえも、直接関連付けたわけではない、としています。ここにも、ショパンのニヒリズムが見えるようです。

 現代の大きなホールで響き渡るピアノでの演奏と比べると、ショパンの愛したプレイエル、リストが好んだベーゼンドルファーでの演奏は、当時の人々の心にどのように響いたのでしょうか。 そんなことを思い浮かべると、ペトラルカの愛の詩も、もう少し静かに噛み締められそうな気がします。

      

〜フランチェスコペトラルカ(1304-74ソネット 第104番〜

             

     平和を見出せず さりとてにもならず

             畏れ、待ち望み 燃えては凍りつき

             空高く飛ぶかと思えば 地上で凍てつく

             何も持たず 世界を抱擁する

 

             私を牢獄に入れ 解放もしなければ閉じめもしない

             妨げもせず を解くでもなく

     自分のものだとも言わず 自由にもせず

             生かしておこうともせず 枷をはずしてもくれない

 

             目がないのに見ようとし 口がないのに叫ぼうとする

             死を望みながら 命乞いをし

             自分を憎みながら 他人を愛している

 

             苦しみを糧として 泣きながら笑う

             死も生も同じように疎ましい

             私をこのようにしたのはマダム、 貴女なのです